神のこと — 創造主であり、全てのものの主
神は宇宙とそのすべてを創造された唯一の存在です。神は始まりも終わりもなく、全能で、完全に聖く、全ての愛に満ちています。神はただ一人であり、他の神々や霊は存在しません。
-
「神は人ではなく、嘘をつかれるはずもなく、人の子でもない。」(民数記23:19)
-
「神は霊であり、神を礼拝する者は霊とまことをもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:24)
-
「山々が生まれる前から、あるいは地と世界をお生みになる前から、とこしえからとこしえまで、あなたは神です。」(詩篇90:2)
人間の創造と罪 — 神のかたちに造られたが、罪で神に背いた
神は最初の人間、アダムとエバを創造され、彼らを特別な関係に招きました。神は彼らに「善悪の知識の木」の実を食べてはならないと命じました。
しかし、アダムとエバは神の命令に背き、その実を食べてしまいました。この行動が「罪」です。
罪とは、神の完全な愛と義に反するすべてのことです。嘘をつくこと、盗むこと、他人を傷つけること、自己中心的に生きること…すべて罪です。罪は神との正しい関係を壊します。
-
「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入った。」(ローマ5:12)
-
「皆が罪を犯し、神の栄光に達していません。」(ローマ3:23)
神の義と愛 — 罪には罰が必要だが、神は憐れみ深い
神は完全な義を持っておられるので、罪は罰を受けなければなりません。罪の罰は「死」、つまり永遠に神から引き離されることです。
しかし、神は愛に満ちているため、私たちを裁く代わりに救う方法を備えられました。神は人類の罪を負うため、ご自身のひとり子イエス・キリストをこの世に送りました。
イエス・キリスト — 神のひとり子であり、完全な人
イエスは完全に神であり、同時に完全な人としてこの地上に来られました。罪のない生活を送り、神の教えを人々に伝えました。
しかし、人々はイエスを拒み、無実のイエスを十字架につけて殺しました。
十字架の意味 — 罪の罰をイエスが代わりに受けた
イエスは私たちの罪の罰を代わりに負われました。十字架での死は、神の義の要求を満たすための犠牲であり、神との正しい関係を回復する唯一の道です。
イエスは三日後に復活し、死に勝利されました。これにより、すべての信じる者に永遠の命が約束されました。
-
「キリスト・イエスにある者には、もはや罪の定めはありません。」(ローマ8:1)
私たちの選択 — 信仰と悔い改めによる救い
救われるためには、自分の罪を認め(悔い改め)、イエスを主(自分の人生の主)として信じることが必要です。信仰とは、イエスがあなたの罪のために十字架で死に、復活されたことを信じることです。
-
「もしあなたが口でイエスを主と告白し、心で神がイエスを死者の中からよみがえらせたことを信じるなら、あなたは救われます。」(ローマ10:9)
信じる人は新しく生まれ、聖霊によって罪に勝つ力を与えられます。罪は「もう避けられない運命」ではなく、選択の問題です。失敗しても、真実に悔い改めて神に立ち返れば赦されます。
祈りの例(祈りそのものに力があるのではありません。心からの信仰が救います)
親愛なる天の父なる神様、
私は罪人です。私の罪のために地獄の罰を受けるべきですが、イエスが私の罪の罰を代わりに受けてくださったことを信じます。私はイエスを私の主とし、人生の主とします。どうか私を赦し、清い心と聖霊の力で満たしてください。イエスの名によって祈ります。アーメン。
救いを受けた後に大切なこと
-
聖書を読む — 神の言葉を知り続けてください
-
祈る — 神と話し、助けを求めましょう
-
教会に参加する — 信仰の仲間と共に歩み、励まし合いましょう
-
罪を避ける — 聖霊の力で日々の生活で罪から離れましょう
-
バプテスマを受ける — イエスに従う決意の証として
日本の文化的な注意点
日本では伝統的に先祖崇拝や神道、仏教の教えが根強くあります。それらとキリスト教の神を混同しないでください。神は唯一であり、イエス以外に救いはありません。
また、「お守り」や「占い」、「運命論」などに頼ることは真の救いではありません。イエスを信じることだけがあなたの罪を赦し、永遠の命を与えます。
「頑張れば救われる」や「いいことをすれば救われる」という考えは聖書の救いではありません。救いは神の恵みと信仰によるものです。